こんばんは、アユムです。

 

引きこもりの原因で多いのが「人間関係の悩み」でしょう。

 

私自身、過去の引きこもりの原因はすべて人間関係でした.

そして引きこもるよりずっと以前、それはもう幼少の頃から、
人間関係が上手く築けず、それが私の人生に大きな影響を与えてきました。

「人間関係」といっても様々なテーマが考えられますが、
今日はその中の1つ「人を信じる」ことについて、現在の私の考えをお話します。

 

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「たとえ裏切られてもいい」と思えるか

私がここ4,5年、「人を信じる」という部分で
とても納得していることは、

 

「人を信じる」ということは、

「たとえ万一裏切られることがあっても構わない」という覚悟でその人についていく

ということです。

 

これは、以前私がメンターとして尊敬していた人から教わったことです。

ここでは仮にAさんとしますが、

Aさん自身も別にメンターのような人がいました。

 

その人について、Aさんはこう言っていました。

「私は、もし彼がこの先私をだましたり、裏切るようなことをしたとしても、
その時は仕方ありません。

私の見る目が甘かったということでしょう。

もちろんないとは思っていますが、
万が一裏切られてもいいという覚悟がありますし、
そういう気持ちで彼についていってます。

『信じる』って、そういうことなんじゃないですか」

 

つまり、「信じる」も「信じない」も「自分の責任」だというのです。

 

私は相手にばかり責任を押し付けていました。

これを聞いた時、私は、
今までの自分は逆だったことに気付かされました。

 

それまでの私は、
「人を信じる」ことも、すべて相手に依存していました。

相手の行動一つ一つを見て、
「自分が相手を信じられるかどうか」を確認していたような気がします。

 

たとえば、

・自分に対してウソを言わないか

・自分の立場になって考えてくれているか

・自分の気持ちをわかってくれているか

・自分の事を考えて接してくれているか

などなど・・・

 

私は無意識のうちに、
相手に対してたくさんの「信じる材料を要求」していました。

 

そして、はじめは信頼していても、
相手の自分に対する行動が少し違うと感じると、
急に不安になることがありました。

本当は相手はそんなつもりじゃなかったのに、
私が勝手に誤解して信じられなくなるということもありました。

 

相手の本心がどうだったかにかかわらず、
私自身が「裏切られた」と感じると、すぐに怒り、
「信じていたのに」と相手を責めてばかりいました。

 

つまり、すべての責任を相手に押し付けていたわけです。

 

「相手を信じる」のに、
自分の責任や覚悟など、これっぽちもありませんでした。

だから、ちょっとしたことで人を信じられなくなり、
不安を感じると、それが後々まで響くことが多かったのです。

 

今、昔の自分の気持ちを思い出しながら整理してみて、
あらためてよくわかりました。

これでは人と信頼関係を築くことなんてできないですね。

 

「自己責任で相手を信じる」と楽に生きられる

そもそも、どれだけ信じられる人であっても、
相手の自分に対する行動が、いつも自分のためを思ってくれていて、
いつも自分の思い通りなんて100%ありません。

一番信頼できるであろう親でさえ、ありえません。

あるわけがない。

 

相手には相手の考えがあるし、感情があるし、都合があるからです。

考えてみれば当たり前です。

 

「信頼できる相手だとしても、いつも自分のために動いてくれるわけではない」

そういうことも理解した上で、
自分自身から相手を「信じる」ことが大切です。

 

自分が覚悟を持って信じていれば、
ちょっとやそっとのことでその信頼関係は崩れません。

覚悟を持つというのは、

「相手を信じると決めたのは自分。
だからこの先万一裏切られるようなことがあったとしても仕方ない」

と、自分で責任を負うということです。

 

それ以来、私は「人を信じる」ということに対しての意識が変わり、
行動にもいい影響がたくさんありました。

人付き合いをしていく上で、相手の行動に対する不安が減り、
気楽に付き合えるようになってきました。

 

このブログで何度も言っていることですが、結局、

「自分で責任をもって行動する」ということは、

「自分らしく楽に生きる」ことにつながります。

 

自分の人生、有効に使いましょう。

「じゃぁ人に裏切られた時も、すべて自分の責任だから
相手を責めてはいけない、相手に責任を求めてはいけないってこと?」

と、思われるかもしれませんが、そうではありません。

 

たとえば、相手を信じ、裏切られたことで、
自分が何か被害を受けたのなら、
相手に責任を問い、ときには相手を訴えることもあるでしょう。

 

私が伝えたいのは、そういった表から見えることではなく、
「自分の心の中で相手に対する気持ちをどう処理するか」
ということです。

 

普段の人付き合いで、
相手に責任を求めても思うようにならないことは多々あります。

そんなとき、「信じた自分も悪かったよな」と割り切ることができると、
後に引きずることも少なく、自分のためにどんどん次に進んでいけますよと言いたいのです。

 

以前の私のように、相手にすべて依存してしまうと、
裏切られた時、その気持から逃れることがなかなかできません。

ということは、その後も、
裏切られた相手に、ずっと自分が振り回されることになります。

 

裏切られた相手に、その後も振り回されるなんて、

そんなの嫌じゃないですか。

そんなのもったいないじゃないですか。

そんなことさっさと忘れて、自分の人生を自分のために使った方がいい。

 

自分の時間、自分の人生は有効に使いましょう。

私を含め、中高年の人ならなおさらです。
残された時間は若い人ほど十分にないですからね。

 

「人を信じること」も「自分の責任」。

そう考えた方が結果的に自分が自分らしく楽に生きられます。

 

もし、今あなたが、人を信じられなくなって引きこもっているのなら、
こんな考えもあります。

よければ参考にしてください。

 

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