こんにちは、アユムです。

 

今日は私が、ひきこもりの時に、

・ずっと欲しがっていたもの

・あこがれていたもの

・同時に苦しめられてきたもの

についてお話します。

 

それは何かというと、

「普通の人生」

「普通の生活」

です。

 

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「普通」にできず悩み、「普通」にあこがれていた頃

私は20代最初の頃から、転落の人生を歩み始め、
20代後半から深く悩み、仕事や人間関係に苦しみ、
ひきこもりも繰り返してきました。

 

30代前半は、まさに「どん底」でした。

40近くなって、ひきこもりから脱出しても、
なかなかうまく行かず、悩み続け、生きづらい日々を過ごしました。

その「人生の底辺」にいた長い期間に、ずっと思っていたことが、

「普通になりたい」

でした。

 

「なんで自分は、みんなと同じように普通に生きることができないんだろう。」

「なんで自分は、みんなと同じように普通にコミュニケーションできないんだろう。」

「他のみんなが当たり前のようにできることが、なぜ自分にはできないんだろう」

「なんで自分は頑張ってるのに、みんなと同じようにすらなれないのだろう」

「多くは望まない。せめてみんなと同じように普通の生活がしたい」

「普通に仕事をして、普通に友達と遊びに行って、普通に楽しくしたい」

「普通になりたい」

「普通の人生を送りたい」

 

今となっては自分のことながら、かなり違和感を感じますが、
当時の自分は本気でそう思っていました。

長い間、ずっとそう思いつづけていました。

 

私が思い描いていた「普通の人」とは

そして同時に、その「普通へのあこがれ」が、
自分を余計に苦しめていました。

私が当時考えていた「普通の人」とは、わかりやすく言うと、

「大きく道を外れることなく、それなりに順調な人生を歩んできている人」

のことです。

普通に学校を卒業して、
普通に会社に入って、
普通に暮らして、
普通に余暇を楽しみ、
普通に結婚して、
普通に子供、家庭を持って、
普通に昇進して、
年相応の人生を送っている

そんな「普通の人」を思い描き、あこがれていました。

 

そんな考えだったので、
引きこもっている期間はもちろん、ひきこもりから脱出しても、
「普通の人」と自分の「差」を、まざまざと実感させられました。

普通に憧れ、普通を目指していただけに、
その「普通の人との差」が、いつも辛く感じ、
そして、そうなれない自分に情けなさを感じていたわけです。

 

ひきこもりが「普通」を基準にすると、劣等感・敗北感を感じやすい

そもそも「引きこもった」時点で、
世間的には「レールから外れてしまう」わけで、
そこから、元のレールに戻るのは大変です。

 

ましてや、自分と同じ世代の人と同じようになるなんてもっと大変です。

たとえば、40代なら、
会社で働き、それ相応の地位があり、
結婚して家庭を持ち、生活も安定している。

40でひきこもりから脱出して、
そんな「一般的な40代」の状況に持って行くのは至難の業でしょう。

 

「順調な人生を歩んでいる人」は、
順調に頑張ってきたからこそ、今の生活を築けているとも言えるわけです。

それなのに、引きこもったりして一度道を外れた人が、
それでも自分の中で「普通」を基準にし、
「普通」を目標に頑張っても、簡単になれるわけありません。

しかも「普通」に追いつくまでは、ずっと負い目を感じ、
ずっと劣等感、敗北感を感じ続けることになるわけです。

 

そんな人生、どうなんでしょう?

 

40代以上のひきこもりが「普通」と比べるのは辛すぎる

「普通」に考えれば、
たとえ引きこもったとしても、

10代、20代なら希望はあります。

これからの人生、まだまだたっぷりあるので、
「頑張れば十分やり直せる」と。

 

30代でも頑張れば希望は見えてくるでしょう。

まだ人生の折り返し地点にも到達してませんから。

 

でも、40代50代、それ以上の年代で引きこもりはそうもいきません。

世間の「普通」を基準に考えて、自分と比べてしまうと、
その先に「希望」はなかなか見えてきません。

「普通」の基準でやり直そうとしても、そこまでたどり着くのに、

「自分に残された時間はあまりに少ない」
「頑張っても、もはや無理」

と頭のどこかで感じてしまうのではないでしょうか。

 

人生を「普通」から「自分らしく」にシフトする

私自身、ひきこもり中も、ひきこもりから脱出した後も、
本当に長い間、この「普通と自分のギャップ」に悩み続けてきました。

しかし、40を過ぎ、ようやく、
その「普通」の概念が実は「最大の足かせ」だったことに気づきました。

 

・引きこもった時点でもはや「普通」ではない。

・「普通」を基準にして、そこを目指すと上手くいかない。
 もともとレールから外れてるので完全に戻ろうとするのは難しいし、苦労するだけ。

・「普通」に見える人たちも、実はみんな悩みも苦労もたくさんしている。
 それが自分には見えていない、わからないだけ。

・「普通に」ではなく「自分らしく」生きればいい。

 

自分の中の生きていく基準を、
「普通の人と同じように生きる」から「自分らしく生きる」ことにシフトしたことで、
私の人生は好転していきました。

 

 

そもそも「普通」ってなんなんでしょう?

住んでる場所や時代、環境が変われば、「普通」も変わります。

 

「みんなと同じようにすること」=「普通」ならば、

それは「自分らしく生きる」ことでしょうか。

「普通に生きること」は自分にとって本当に重要な事でしょうか。

 

みんなと同じように生きることが、
自分の価値観と合っているかどうかは人それぞれです。

「普通」を目指してもいいと思いますが、
私のようにひきこもりから脱出しても、ずっと劣等感、敗北感を感じるようであれば、
自分の価値観や「自分らしさ」について、一度考えなおしてみるのもいいかもしれません。

 

「普通」なんかくそくらえ!

今日はちょっと刺激的なタイトルをつけましたが、

私は「普通」を否定しているわけではありません。

「普通」になれないからひがんでいるわけでもないし、
やっかんでいるわけでもありません。

 

ただ、自分にとって、「普通」を望むことは、
まったく的はずれだったということです。

 

自分は「普通」にこだわってはいけない。

「普通」にしがみつくから辛いし、自分らしく生きることができない。

自分は「普通」でなくていい。

むしろ「普通」でない方がいい。

自分にとって「普通」という概念は邪魔でしかない。

 

そう考えているので「くそくらえ!」という表現になりました。

 

別に「普通」でなくてもいいじゃん。

世間から後ろ指さされようと、笑われようと、
「自分らしく生きる」ことができればそれでいいじゃん。

ただし、今引きこもっていること、親の面倒になっていること、

それが「自分らしい生き方」なのかどうかは、
しっかり考えた方がいいと思います。

(そんな人はいないと思いますが。。。)

 

「普通に生きる」より「自分らしく生きる」方が楽

正直、今回の内容には、共感してくれる人は少ないかもしれません。

経験上、私自身が考える持論的な部分も多いです。

 

ただ、もし過去の自分と同じように、
「普通」という概念にとらわれることによって辛い気持ちでいる人がいたら、
今日書いた内容も1つの意見として参考にしてもらえたらと思います。

 

もちろん「普通」の人生を送る、「普通」に生活できるのなら、
それはそれで全然OKだし、自分が本当に望んでいるのなら、
それを目標に頑張ることは素晴らしいことだと思います。

 

でも、「普通」になれないからって、落ち込む必要はありません。

「普通」じゃないから自分はダメだと思う必要もサラサラありません。

いいように考えればそれは「個性」です。

「普通」じゃなくても「自分らしく生きている」と堂々と胸を張って生きればいいと思うんです。

 

別に「普通」じゃなくてもいいじゃないですか。

それよりも「自分らしく生きること」にフォーカスした方が楽ですよ。

昔はなかなか難しかったかもしれません。

でも今は価値観も多様化してきていて、
「人それぞれの生き方があっていい」という風潮になってきているように思います。

 

ですから、たとえ、今何歳でも、
どれだけ長い期間、引きこもっていても大丈夫。

問題は「これから」です。

残りの人生、これから先は、
「自分の価値観」にしたがって、
「自分らしい人生」を送っていきましょう。

 

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