こんにちは、アユムです。
わたしが引きこもりから完全に脱出し、
社会復帰できるようになった理由の1つに、
「自分の現状を他人のせいにしない」
「100%自己責任で行動する」
と考えられるようになったというのがあります。
今日は「他人のせい」にすることが、
どれだけヤバイことか、私の考えをお話します。
先にお断りしておきますが、
私は社会的、道徳的、倫理的な意味で、
「他人のせいにしてはいけない」
と言っているのでは決してありません。
逆です。
「人のために」ではなく、
あくまで「自分のために」です。
これから自分が辛い人生を送らないために、
また、自分らしく楽に生きるために、
「他人のせい」にすることはやめた方がいい。
と言いたいのです。
「他人のせい」が引き起こす2つの害悪
「他人のせい」にすることには、
2つの大きな弊害があります。
(1)辛くなる、ストレスが溜まる、生きづらくなる
「他人のせい」と考え、相手が悪いと非難したところで、
相手は自分の思うように動いてくれないことが大半です。
結果、イライラし、ストレスが溜まり、辛い人生を送ることになります。
(2)真剣に行動できず「自分らしさ」を見失う。
自分の行動を「他人のせい」にするということは、
自分で責任を負っていないということでもあります。
つまり行動する時、
「本当に自分にとっていいのか」を相手に依存してしまい、
自分では真剣に考えることができていません。
思考も止まってしまいます。
自分のことを真剣に考えていないから、
なにが「自分らしさ」もわからずに安易に行動してしまいます。
つまり、「他人のせい」にすると、
「ストレスがたまり、生きづらく、自分らしい人生を送ることができない」
という、とてもヤバイ状態になってしまうということです。
「上司の命令で行動したのに上手くいかず叱責された」
イメージしやすいように、具体例をあげて考えてみましょう。
ある日、会社でA部長から、○○しろと命令されました。
自分ではそれでは上手く行かないんじゃないかと思いつつも、
上司の命令なので言われた通りに行動。そして失敗。
「やっぱりダメだったか」と思いつつ、結果報告すると、
A部長は「お前のやり方が悪い」と、一方的に非難され罵声を浴びせられました。
こういう場合、あなたはならどうしますか?
「部長に指示された通りにやったのに、
なんで俺ばかりが怒られないといけないわけ?」
「でも部長に楯突くのはまずいし。。。
我慢するしかない。。。なんて理不尽なんだ。。。」
と嘆いて、やけ酒を飲みながら愚痴をこぼす。
というパターンもあるでしょう。
このウラには、
「A部長の命令なので従うしかない」
「部長に逆らうとまずいので我慢するしかない」
つまり、
「自分ではどうにもならない」
という思い込みがあります。
これ、一見問題ないようにもみえますが、
実はすべてを「A部長のせい」
「他人のせい」にしてしまっています。
「自分ではどうにもならない」=「自分には選択肢がない」
と思い込んでいますが、
実は選択肢はたくさんあるのです。
そして数ある選択肢の中から、
「A部長の命令に従う」
「罵声を浴びても我慢する」
という行動を選択したのは、
他の誰でもなく「自分自身」なのです。
選択肢は必ずあります。
では、他にどんな選択肢があるのでしょうか。
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■自分の考えとは違うことを上司に命令された時の行動
・自分の考えとは違っても、部長の命令にしたがって行動する
・命令された時に、部長に自分の考えを言ってみる
・命令に従わず自分の考えに沿って行動する
・部長の命令に従っているように見せかけて上手く行動する
などなど。。。
■上司に叱責された時の行動
・何を言われても上司だから仕方ないと我慢する
・「部長に言われたからやったんじゃないですか」と冷静に抵抗する
・「なんでアンタにそこまで言われなきゃいけないんだ」と感情的に言い返す。
・何も言わずにその場を去る(笑)
などなど。。。
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「そんなこと言ったって、部長に逆らったら何されるかわからない。
左遷されるかも、会社をクビになるかもしれないんだから言えるわけねーだろ!」
と言うかもしれませんが、それも含めて「自分自身の選択」です。
「クビになったり会社を辞めたら自分だけが損じゃないか」
と言うかもしれませんが、
首になったり会社を辞めることが本当に損かどうかは、辞めた後の行動次第です。
そんな理不尽な上司のもとで働き続けることの方が、
長い目で見ると自分に取っては損だという考え方もあります。
本当はいろんな選択肢がある中、自分で判断、選択した結果なのに、
「こうせざるを得なかった」=「選択肢は1つしかなかった」
と思い込むのは、結局「他人のせい」にしているということです。
そう思い込んでいる限り、その他人はコントロールできないので、
自分はストレスが溜まる一方です。
また、思考が止まってしまってしまい、
「自分の行動を変えればいい」
「自分がどうこうどうすれば事態が変わるか」
と考えることがなかなかできません。
結局のところ、「他人のせい」にしていると、
自分自身が成長できないんです。
「他人のせい」をやめると「楽に自分らしく」生きられる
これまで「他人のせい」にすることの弊害をお話してきましたが、
では「他人のせい」をやめるとどういうメリットがあるのでしょうか。
■すべて自分の責任なので、自分の行動を変えればいいだけ。
自分の行動は自分次第ではコントロールできる。
→ ストレスはたまらない。楽に生きられる。
■他人に委ねず、自分の行動に責任を持てるようになり、安易な選択をしない。
心のどこかで「他人がああ言ったから、もし上手くいかなくても
自分のせいじゃない」という気持ちがなくなる。
すべて自分の責任なので、一つ一つ真剣に考えて行動するようになる。
→「自分らしく生きる」ことができるようになる。
引きこもりは誰のせいか?
上記の話を踏まえた上で、「引きこもる」という行動について考えてみましょう。
「ひきこもり」は決して「他人のせい」ではありません。
理由が何であろうと「自分で選択し、自分から引きこもった」のだから、
自分の責任です。
それを「他人のせい」にしてしまうと、
いつまでたってもひきこもりから脱出できないおそれがあります。
引きこもりを自分の責任だと考えると、脱出するためには、
「自分自身が変わる」「自分自身が動くしかない」
ということがわかってきます。
そしてそういった考えが行動を起こし、
その行動が結果的に引きこもりからの脱出、社会復帰への道につながります。
私自身のことを振り返ると、
私が「他人のせい」にせず「自分の責任」で行動できるようになったのは
ほんとごく最近、40代に入ってからです。
それまでは、ずっと人のせいにしてきました。
言葉や頭の中では自分の責任だと言っていても、心の何処かで、
「○○のせいで自分はこうなった」
「○○さえなければもっと自分はうまくできた」
みたいなことを思っていました。
その呪縛が外れたからこそ、
普段のストレスが格段に少なくなり、
そして少しずつ自分らしさを取り戻せてきたのだと思っています。
「他人のせい」にしないのは「自分のため」
「ひきこもり」が自分の責任だからといって、
自分の事を責めろと言っているのではありません。
私があなたを責めているわけでもありません。
まったく逆です。
過去の出来事はすべて自分の行動の結果、自分の責任、
これからは自分の責任で行動する方が
精神的に楽だし、これからも楽に自分らしく生きることができますよ、
という提案です。
今日の内容、伝わりにくいかもしれませんが、
もしあなたの心のどこかに引っかかったなら、
「他人のせい」にしていないか、今一度考えてみてください。
他人のせいにせず、「100%自己責任で行動する」ことが、
あなたにとって、引きこもりから脱出する突破口になれば幸いです。